「町の“困りごと”が、命を守る“秘密基地”に早変わり!?」中卒職人が挑む、笑い声と防災を同時に叶える奇跡の再生プロジェクト

目次

「“廃屋”が生まれ変わるとき、街の運命が変わる!河原さんの挑戦」

「空き家があるのは困ったことだ。とっとと取り壊したほうがいい」

かつては誰からも見向きされなかった家が、ある男の手によって、今では“災害時の命を守る基地”として街の人たちに頼りにされている。しかも、その場所は普段、子どもやお年寄りが笑顔で集まる“コミュニティスペース”として活用されているというのだ。

「そんなこと本当にできるの?」

誰もが疑った。

しかし、その男は有言実行で次々に荒れ果てた空き家を蘇らせ、まちを変えてきた。その名は河原さん。中卒で職人の世界に飛び込み、がむしゃらに働きながらリフォーム会社を立ち上げ、地域貢献に人生を捧げている人物だ。

「僕たちが作りたいのは、ただのDIYの“おしゃれ空間”じゃないんですよ」

そう彼が語る口調には、不思議な熱とやさしさが混ざり合っている。空き家という“負の遺産”と、防災という「いつ起こるか分からないリスク」。相反する二つの課題を、一度に解決しようなどと聞けば、どうしても夢物語に聞こえてしまうだろう。

それでも彼は、はっきりと言い切る。

「空き家を減らしながら、防災力を高める。それは、僕一人の力じゃ到底無理です。けど、人が集まってDIYを楽しんでいるうちに、いつの間にかみんなで街を守れる仕組みができあがるんです」

彼の取り組みが持つ“魔法”の正体を探るため、私たちは話を聞いてみることにした。中卒からリフォーム、そして地域再生へ。その道のりは平坦ではなく、まるでジェットコースターのように波乱万丈。果たして、河原さんの人生にはどんなドラマが詰まっているのだろうか。

泥だらけの職人時代に芽生えた“使命感”――誰もが頭を抱えた空き家に光を当てる理由

「見よう見まねで始めた職人の世界」

「僕は中学を卒業して、すぐに飛び職の現場に入りました。ブロック塀の基礎を固めたり、外壁やタイルを貼ったり、最初は右も左も分からなくて、先輩に怒鳴られながら毎日必死でした。中卒っていうだけで、周囲からの目も厳しかった。『何も知らない若造にできるわけないだろう』みたいな言葉を浴びせられたり。」

そう語る河原さんの瞳は、どこか懐かしさを帯びている。少年の頃、彼にとっての“自分の居場所”は、学校の教室ではなく、コンクリートや鉄骨が積み上げられた現場だった。

「とにかく失敗を恐れない。失敗しても、翌日また現場に立つ。そうするうちに、一人前の職人になるんだって思ってましたね。親方たちの背中はすごく大きかった。自分もそういうふうになれるのかなあ、って。」

「24歳の独立とリフォーム業への挑戦」

20代前半で独立を決めたとき、周囲は猛反対した。仕事の請負ルートをどう確保するのか、資金繰りはどうするのか。何も分からない若者がいきなり会社を作ったところで、上手くいくはずがないと思われていた。

しかし河原さんは、まさに“捨て身”の覚悟で踏み出す。

「最初は先輩の会社からの下請け工事をメインにしていたんです。ところがある日、その会社が潰れてしまって。僕の仕事は一切合切なくなりました。『もう明日からどうやって稼げばいいんだ』って、本当に途方に暮れましたよ。」

その追い詰められた状況で、彼が生み出した戦略は「とにかく半径2キロ圏内に目を向ける」ことだった。小さな修繕やリフォームがこまめに入ってくるように、ひたすら地域の人と交流を重ねたのだ。

「自治会の集まりとか、お祭りの準備とか、そういうイベントを手伝いながら『いつでも呼んでください』と顔を売っていったんです。仕事をくれ、じゃなくて『一緒に街を盛り上げましょう』ってスタンス。

これが後から考えると大正解だった。誰かの家の壁紙を替えるときに『ああ、河原さんなら安心だよね』って真っ先に声がかかるようになったんです。」

誰もやらなかったからこそ挑む、“壁ぶち壊し会”から始まる熱狂の渦

「理想と現実のギャップ、空き家の深刻化」

河原さんが企画した「壁ぶち壊し会」の様子

リフォーム業として軌道に乗り始めた頃、河原さんは次の問題に直面する。

「地域を歩いてみると、やたら『空き家』が多い。中には崩れかけて危険なところもあるし、不法投棄されてるゴミが山積みのところもあった。オーナーは他県に住んでいて、連絡がつかないまま放置されているパターンが多かったんです。」

市や自治体が動きたくても、所有者の許可がなければどうにもできない。空き家が増えてくると、景観の悪化や治安の不安も高まる。河原さん自身も建設の現場を知るからこそ、「建物が倒壊する前になんとかしないと」と問題意識を持っていた。

「でも、だからといって、リフォームしましょうって簡単に言える状況でもない。リフォームした先で、結局使われない空間になってしまったら何も変わらない。正直、始めは何を足がかりにすればいいのか分かりませんでした。」

DIYイベントから生まれた予想外の熱狂

そこで河原さんが選んだ一手は、「そもそも改装やリフォームのハードルを下げること」だった。大規模リノベーションではなく、住民やボランティアの手を借りてDIYを進めようという構想だ。

「最初はDIYイベントをやっても、全然人が集まりませんでした。ちらしを配っても反応が薄いんですよ。『空き家の深刻さを伝えて、みんなで直しましょう!』って呼びかけたんですけど、それがいけなかった。社会課題を前面に出すと、みんな身構えるというか、『自分には関係ない』って思うんです。」

だが転機は、ある参加者の何気ない一言だった

「壁をぶち壊してみたい!」

「だったら“壁ぶち壊し会”という名前でイベントやってみようよって提案したら、予想外の大盛況で(笑)。子どもたちが『やってみたかった!』って大喜び。大人もどこかうれしそうにハンマーを持つ。そこでやっと気づきました。“真面目に課題を語るより、楽しそうなことをやったほうが人は動くんだ”って。」

「お困りごと」と扱われた家が、防災拠点に! DIYがもたらす笑顔と安心

「防災拠点化への思い、“命を守れる空き家”」

防災拠点を地域の人と作っている様子

DIYで空き家を再生する過程を通じて、人が集まり、笑い声が生まれる。それだけでも十分ポジティブな効果なのだが、河原さんはさらに大きなアイデアを重ねた。それが「防災拠点化」である。

「災害って、いつどんな規模で起きるか分からないじゃないですか。行政が設置する大規模な避難所には限界があるんです。特に震災や洪水が起きたときに、一箇所に住民が殺到すると混乱が大きくなるんですよ。だったら、街中に点在する空き家を小さな拠点にすればいいそう思ったんです。」

具体的には、

・太陽光発電パネルを設置し、大規模停電時でも電気を確保できる。

・一部屋を耐震シェルター化し、建物が倒壊しても安全が保たれる。

・水や食料、非常用トイレなどを備蓄しておき、いざというときは地域住民が避難できる。

というモデルだ。

「正直、補助金が潤沢にあるわけでもないので、DIYの手間と費用を最小限に抑えつつ、この設備を整えていくのは大変です。でも“一挙集中型の避難所”だけでは足りないのは、東日本大震災や熊本地震などで痛感しました。僕自身、復興支援に何度も足を運ぶ中で『分散型の避難場所を増やすしかない』と強く思ったんです。」

「DIYがもたらす住民パワー」

「フジテレビ」に河原さんの活動が取り上げられた際のお写真

こうして完成した「空き家コミュニティ+防災拠点」は、メディアにも取り上げられ、一気に注目が高まった。

「新聞やテレビで紹介されると、今度は『うちの空き家もなんとかしたいんです』とか『自分もDIYをやってみたい』って連絡が来るんですよ。オーナーさんも、やっぱり家を放置しておきたくない。だけど自分一人では資金も手間も大きすぎて動けない。それを“イベント”という形で人を巻き込みながらコツコツやれば、可能性が広がるんです。」

そして何より大きいのは、“住民同士の顔が見える”ようになること。

「DIYで一緒に汗をかいた仲間だと、いざ非常時に“どこに避難すれば安全?”って話になっても、お互いに連絡がとりやすい。「ここに集まれば、きっと河原さんが来て何とかしてくれる」って思ってくれる。僕だけじゃなく、地域のみんなが『この場所を守ろう』って動くようになるんです。」

分散型防災の夜明け、全国を巻き込む“空き家”イノベーション

「全国各地で広がる空き家防災プロジェクト」

広島の呉市にある空き家を現在民泊としてリノベーション

今、河原さんの元には全国各地の自治体や民間団体から「ぜひうちでもやってほしい」という声が寄せられている。山形や広島など、地方ではインバウンド需要があるのに宿泊施設が足りないというケースも多い。逆手にとって「空き家を改装して民泊にしながら防災機能も備える」というモデルにも挑戦しているという。

「僕自身、補助金にはあまり頼らない主義なんです。もちろん支援があれば使うんですが、それに縛られると自由に動けなくなることも多い。DIYの面白さを感じて仲間になってくれる人がいれば、あとは現場を見ながら少しずつ作り上げるしかないんですよ。」

「課題解決から“希望の場所”へ!コミュニティの本質」

河原さんは、あくまで“課題解決”だけを目指しているわけではないと言う。

「最終的には、その場所が“みんなの希望”を生むようになればいいんです。子ども食堂をやるもよし、お年寄りが気軽にお茶をするもよし、若い起業家がシェアオフィス的に使うもよし。とにかく『ここに来れば誰かに会える、何か面白いことがある』という空気を作りたい。」

そして、災害時は一転してライフラインを維持する拠点となる。そこに「人がいる」こと自体が、町を支える大きな武器になる。

「僕は自分の生まれ育った街を守りたい。それは誰かに強要されてやることではなくて、心から“好き”だからこそ続けられる。DIYも楽しいし、イベントで出会った人が『また来たい』って言ってくれるのが嬉しい。そういうポジティブなエネルギーが、いつしか防災や地域再生につながるんですよね。」

一軒の再生が、社会を変える――河原さんが見つめる“逆転の方程式”

空き家を活用した地域の拠点に人が集まってくる

「空き家に光を当てれば、街が変わる。僕自身がその証拠だと思います」

河原さんが成し遂げたことを整理すると、単に“空き家を直した”だけではなく、“みんなが安心して過ごせる街づくり”への一歩が形になっていることが分かる。

・中卒からスタートし、建設業界で叩き上げられた職人の知見

・DIYイベントで地域を巻き込み、課題を“楽しい体験”に変えていく手腕

・災害支援の現場を見て学んだ「分散型防災拠点」の必要性

・「儲け」よりも「街を守る」姿勢が生んだ人々からの信頼

「実際、僕がやってることなんて“奇をてらったアイデア”に見えるかもしれないですけど、めちゃくちゃ地味な作業ですよ。壁を破るのだって、シェルターを設置するのだって、一軒ずつコツコツ進めるしかない。でも、やればやっただけ形になる。それを一緒に楽しんでくれる仲間がいれば、こんなに心強いことはありません。」

過疎化の進む地方では、家や土地を手放す人が増え、今後ますます空き家は増加傾向にあると予想されている。遠からず、2030年代には日本の住宅の3軒に1軒が空き家になるという衝撃的なデータもあるのだ。

しかし河原さんは、それを「暗い未来」とは見ていない。「逆にチャンスじゃないか」と語る。

「空き家を潰すのではなく生かす。高齢化する地域を嘆くのではなく、“知恵と経験のある人たちが集まってる”って前向きに捉える。僕ら一人ひとりが少しずつできることをやれば、日本の街はちゃんと元気になると思うんです。」

生まれ変わった家が繋ぐ未来、あなたの街にも“希望の拠点”は眠っている

「家が人を育て、街が人をつなぐ。そして人が街を守っていく」

河原さんの取り組みを聞いていると、その循環が見事に回り始めた瞬間を感じる。

「DIYを通じて地域を楽しくつなげる」
「防災拠点を分散してリスクを下げる」
「子どもから高齢者まで誰もが集える空間に変える」。

どれか一つでも難しいことを、“同時に”実現しようと奮闘する姿は、最初は奇想天外に映るかもしれない。だが、そこには確かな手応えがある。

かつては「悩みの種」と呼ばれた空き家が、笑顔と活気に満ちあふれ、いざというときは命の砦になる。

そんな逆転劇を目の当たりにすれば、「まだまだこの国には可能性があるんだ」と多くの人が勇気づけられるに違いない。

実際、河原さんの周りには常に笑い声が絶えない。DIYイベントの準備中、ペンキや工具を手に「やってみたかった!」と目を輝かせる大人や子どもがあふれているのだ。そうして普段は笑い合って楽しむ場所が、災害時には電気と安全を提供する“シェルター”へと変わる。

まさに、楽しいと安心が共存する空間。

その発想が今、新たな日本の街づくりを動かし始めている。

あなたの街にも、もしかすると活かされていない空き家があるかもしれない。それを「取り壊すべき存在」と切り捨てるのか、それとも「未来を生み出す資源」として蘇らせるのか?選択肢はきっとあなたの意志にかかっている。

河原さんの物語は、そうした“意志ある行動”が人と人を結び、地域の命を支えるまでに至る一つのサンプルだ。

「暗い話題ばかりの時代だからこそ、僕は面白い未来を作りたい。誰にでもできること、きっとありますよ」

そう微笑む河原さんの言葉に、私たちは強い確信を覚える。空き家は捨てられる場所ではなく、手を加えさえすれば、人々の暮らしを守り、育て、つなぐ、それはまるで“宝の倉庫”のような可能性を秘めているのだと。

あなたの周りで、塵をかぶったまま寂れた建物はないだろうか? もし見つけたら、ぜひ河原さんの姿を思い出してほしい。そこにワクワクを足し算して、新しい風を吹き込めば、街全体が少しずつ元気を取り戻すかもしれない。そして、いずれ巨大な災害が起きたとき、誰かの命を守る一助となるかもしれない 。

そう考えるだけで、明日がちょっと楽しみになるはずだ。私たちはもう一度、「家とは何か、街とは何か」を問い直すときに来ているのかもしれない。そして、その答えの一つを示してくれるのが、河原さんが築いている“空き家防災拠点”なのである。

今回取材を受けてくださった人

河原勇輝(かわはらゆうき)

「産官学民を巻き込む持続可能なまちづくり」を実践する社会起業家。YOKOHAMAリビングラボサポートオフィス代表として、DIYを活用した空き家再生や防災拠点化を推進。NY国連本部ハイレベル政治フォーラムで地域再生モデルを講演し、第8回グッドライフアワード環境大臣賞を受賞。行政・大学・企業と協働し循環型社会システムを構築する姿勢が高評価を得ている。CX「Live News α」やTVK「ハマナビ」などメディア出演も多数。空き家再利用だけでなく、子ども食堂や高齢者サロンの運営など多世代交流の拠点づくりを国内外で展開している。

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この記事を書いた人

enmusubi.blogのアバター enmusubi.blog 株式会社えんむすびCEO

峯山政宏 / 株式会社えんむすび代表・地域再生プロデューサー
滋賀県出身。日本の地域活性化の為、2022年に同社を創業。2025年1月、全国各地で文化の担い手へインタビューを実施する「10,000 Voices 〜1万人が語る!ニッポンの伝統文化〜」を始動。地域固有の芸能や祭事を掘り起こして再生プロジェクトを立ち上げる。クラウドファンディングのサポート事業では1.2億円以上の累計支援金額を達成(2025年1月)。岩手県志賀理和氣神社の鎮守の森再生のクラファンにも貢献。個人として、海外務時代に2冊のベストセラーを出版し、累計5万部の実績。

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