しめ縄と聞けば、神棚や正月飾り、または神社の拝殿に飾られている神聖な飾り物を思い浮かべる人が多いだろう。
日本人にとって、しめ縄は特別な場所に必ず存在し、どこか崇高で神秘的な存在であると感じられがちだ。 本当にそうだろうか?
実は、しめ縄は日常生活と深く結びつき、私たちの暮らしそのものに根ざした文化や知恵の象徴でもあったのだ。この結びつきに触れたとき、しめ縄が持つ本来の意味がどれほど日本人の心を捉えてきたのかを、再認識することができるだろう。
伝統的な「麻」を使いながら独自のスタイルでしめ縄や結びを作り続けている奈良県橿原市在住、亜裸眼(あらかん)所属「麻結び職人」高岡春満さん(以下、はるさん)に話を聞くと、「昔はもっと当たり前に編まれていたのだ」と語る。
「しめ縄とは、神道でいうところの“神聖な領域”と“俗世”を分ける結界だと言われています。しかし、今はビニール製が出回っていたり、そもそも家で縄を編むという発想自体がありません。
だが、昔は年末や行事のときに家でしめ縄を作るのがごく普通だったのです。私自身、いまの状況には少し違和感を覚えています」
はるさんによれば、ビニール製しめ縄の台頭や麻栽培の衰退などにより、伝統に秘められた技術や感覚が失われかけているという。そうした「消えかけた物語」をいま再編集し、次の世代へと紡ぎ直そうとするのが、はるさんの挑戦である。
なぜ「麻」を選ぶのか
近年、主流となった塩化ビニル製のしめ縄は、戦後の大量生産体制や化学繊維技術の発展に伴い、耐久性や安価さを求める声に応じて普及してきたものだといわれる。
実際、塩化ビニルは丈夫で水にも強いため、雨ざらしになっても損傷しにくいという利点がある一方、最終的に土に還りにくく環境への負荷が高いという問題が指摘されている。そうした観点から見ると、「使い捨て」感が拭えない点も課題として挙げられるだろう。
そこで「麻」のしめ縄にこだわる理由をはる氏さんに尋ねると、次のような答えが返ってきた。
「結局最後に土に還るかと考えると、私は麻などの自然素材のほうがしっくりきます。
それに“神聖なもの”を扱うなら、やはり環境負荷をなるべく減らしたい。
そもそも麻は日本各地で栽培されており、頑丈で通気性がよく、神事だけでなく生活のあらゆる場面で使われてきた素材だったはず。
しかし、大麻取締法や産業構造の変化によって作り手が激減し、手に入りづらくなりました。そこに課題を感じるし、『せっかくの伝統素材を活かしたい』という気持ちがとても強いです」
麻結び職人になるまで。石屋から「これだ」と思えた瞬間
はるさんはいまや「麻結び職人」としての道を歩んでいるが、その道のりは決して一直線ではなかった。長年他の仕事をしながら、「これだ」と思えるものを探し続けてきたという。
長年、石屋で働き、墓石をつくったり石材を扱ったりして技術を磨きながら収入を得ることはできたが、『心からやりたいことはこれではない』というモヤモヤがありました。」
こうして、10年ほど石屋の仕事を続けるうちに、“手を使って何かを形にする”職人の世界が大好きだと気づいたという。そこで改めて「人の役に立ちたい」「日本の伝統や祈りに寄り添いたい」という思いと、自分の性分に合う“手仕事”を掛け合わせた結果、たどり着いたのが「しめ縄づくり」だったそうだ。
「石屋で働いて、職人の世界の面白さを実感できました。でも、どこかで『もっと日本の根本にあるものを守りたい』という気持ちが頭を離れなかったのです。いろいろ探るなかでふと思い出したのが“縄”や“結び”の文化。お坊さんとの修行で“祈り”の大切さを知り、石屋で“職人技”に惹かれ、その両方がしめ縄づくりにはあると感じました。“あ、これだ”と思ったのたのです。この時の感動を今でも覚えています」
こうしてはるさんは農家や先輩職人を訪ね、麻の入手や大麻取締法の問題なども一つずつクリアしながら、自分なりのスタイルでしめ縄を編む道を切り拓いた。いまでは、独特の感性と技術を合わせ持つ「麻結び職人」として、多くの人に“神聖な結び”を伝え続けている。
三嶋章義との出会い、「結び」を広める大きな転機
はるさんが「麻結び職人」として大きく踏み出す転機のひとつになったのが、亜裸眼代表であり、クリエイティブディレクター三嶋章義さん(以下、三嶋さん)との出会いである。もともと職人としての修行を積みながら「自分にとって本当にやりたい仕事は何か」と模索していたはるさんが、“麻”を使ったしめ縄づくりに大きな可能性を見出したのは、三嶋さんの存在があったからだという。
「三嶋さんはデザインやアートの領域でも活躍している方で、初めてお会いしたのは知人の紹介でした。
私は正直、しめ縄や結び、そして麻の文化をどう伝えるか悩んでいましたが、三嶋さんはそれらの技術や麻の素材感をもっとアートとして見せようと提案してくれました。
それが新鮮で、『ただの伝統工芸』と見なされがちだったしめ縄や結びを、現代の感覚や海外の視点に接続できると気づいたのです」
三嶋さんは、はるさんの作品をアート的な切り口でプロデュースするアイデアを出しただけでなく、ワークショップや展示の場など新たな活動機会を提案したという。そのおかげではるさんは「しめ縄=神社行事のもの」という固定観念から一歩外に踏み出し、幅広い世代や国境を越えた人々に“ ”の魅力を伝えられるようになった。
「職人が技術を極めるのは大事だが、それだけでは世の中に広がらないこともあります。三嶋さんはこう見せたらもっと人を惹きつけられるとか、デザインの力を加えれば伝わりやすくなるといった発想をくれました。おかげで、いろいろな角度から縄の面白さを伝えられるようになり、海外にも“結び”の世界を届けられるようになったのです」
朝3時の“瞑想”から始まる「紐づくり」
はるさんの作業場は、まだ夜が明け切らない薄暗い時間帯に灯りがともり始める。普段、朝3時ごろには起き出してシャワーを浴び、心身をすっきりとさせてからアトリエへ向かう。そこには大きな作業台と、束になった麻繊維が山のように積まれている。静まり返った早朝の空気の中で、はるさんは黙々とその繊維を裂き、指先を器用に使って撚り合わせる。
まるで微細な糸を一本一本扱うかのように丁寧に作業を進めるその光景は、どこか神聖でありながらも、見ようによっては非常に地道な作業でもある。しかし、はるさんにとってはこの工程がなにより大事だと言う。
「最初は“繊維を裂いて紐を作る”という地道な作業です。わたしはこれを“瞑想”に近い感覚だと思っていて、黙々と撚っていると数時間があっという間に過ぎてしまいます。
でも、ここをしっかり丁寧にやらないと、後で結んだ時に、仕上がりが崩れやすいんです。たとえば結びが雑になったり、強度にムラが出たり。だから、じっくり時間をかけるのがポイントです。
昔は“いいものを作りたい”と思うあまり、体を壊すほど頑張りすぎたことがあるんです。いまは休憩をとりながら、ペースをちゃんと保つように気をつけています。」
作業台の上には、何本もの麻紐が少しずつ形になって並べられていく。はるさんが休憩を挟んだとき、窓の外に目を向ければ、空がうっすらと明るくなってきたのが見えるかもしれない。空腹感より先にやってくるのは、“あともう少し”という気持ちだ。この工程をすべて終えたときの充実感が、その集中力を支えているようだ。
まるで料理人が「下ごしらえが肝心だ」と言うように、縄を編む前の「紐づくり」こそが肝要なのだとはるさんは繰り返し強調する。微細な一手間が、後の縄の美しさや強度を決定づけるのだ。そうした思いが、早朝の作業に張り詰める静かな空気を、どこか厳かで清々しいものに変えているのだろう。
“縄を編む” その行為がアートになる
三嶋さんとの出会いによって、しめ縄や結びを伝統的な技術としてだけでなく、はるさんはアートとしても捉え始めていた。
薄暗い工房で丁寧に撚り上げられた麻の結びが、白いギャラリーの空間にぽんと置かれている光景を想像してほしい。飾り気のない縄が、まるで立体の彫刻作品のようにそこにあり、見る者を引きつける。海外のギャラリーでは、はるさんの作品がいわゆる「ロープアート」として関心を集めることが多いという。個展で“オブジェ”扱いされ、壁面や天井から垂れ下がる麻の結びは、訪れる観客に神聖でありながらも新鮮なインパクトを与えるようだ。
「自分がそれほど高い技術を持っているかはわかりませんが、縄を単なる“道具”ではなく“アート”として提示するのは重要だと思っています。
特に若い人は『きれい』『面白い』といった感覚をきっかけに、しめ縄づくりへ興味を持ってくれます。その後で文化や神聖性の話へと広げることが理想ですね。
実際、結び方が複雑で立体的だったり、麻の柔らかな質感が“美しい”と映るらしく、海外のアーティストからも高い評価を受けています。『美しいから飾りたい』という気持ちは、神様を祀る根本にも通じるのかもしれません。」
ギャラリーに展示された縄を眺めると、その質感の繊細さと曲線の造形に思わず目を奪われる。まるで一本の線が結び目を通して増殖し、複数の空間を生み出しているかのようでもある。その光景は単に神社の「しめ縄」のように統行事の道具とは思えず、純粋にオブジェとしての魅力を放っている。
はるさんが言うように、しめ縄や結びが持つ美しさに惹かれた若者たちは、やがて結びに秘められた意味や神聖性に興味を持つかもしれない。海外のアーティストたちも同様に、初めは繊維や結び目の造形に注目し、次第に日本のしめ縄という文化そのものに興味を深めていくのだろう。
こうした反応こそ、はるさんがしめ縄をアートとして示す意義といえる。従来の宗教的な道具という枠を超え、人々が純粋に「美しい」「面白い」と感じる切り口を用意することで、新たな世代や国境を越えた人々にも伝統の魅力を伝えているのである。

自分で編んでみる楽しさ―― ワークショップに込める思い
はるさんは、縄づくりのワークショップを定期的に開いている。広々とした和室や町の集会所、あるいは小さなギャラリースペースなど、場所はさまざまだが、共通しているのは、床に広げられた麻の繊維や道具類、そして参加者の熱気だ。ほのかに漂う麻の匂いが新鮮な空気を感じさせ、初めは恐る恐るだった人々が次第に手を動かし始めると、その場に穏やかな集中の波が生まれる。
スタッフも手伝いつつ、子どもから大人まで、はるさんの指導を受けながらゆっくりと麻を撚る。笑い声や「あ、ここどうするんだっけ?」といったやりとりが飛び交ううちに、皆が無心になっていく。その様子を見つめるはるさんは、参加者の反応についてこう語る。
「みんなかなりハマってくれます。地味な作業に見えるのに『なぜか面白い』と言われます。無心になって撚る時間がストレス解消になるし、最後に形が完成したときの達成感も大きいんですよ。
最近はコロナ禍の影響で、自分の手を使って何かを作る価値が見直されたとも思います。スマホやPC中心の生活でアナログな作業が減っている分、逆に新鮮なのだろうと思います。
とりわけ子どもが“初めて縄に触れた”ときのワクワク感は見ていて嬉しいですね。かつては一家に必ず縄を編める人がいて、子どもはその姿をそばで見て自然と覚えたんです。いまその環境がないなら、ワークショップで補うしかありません。」
子どもたちは、最初は指先で麻をうまく扱えず戸惑っているが、はるさんに声をかけられながら少しずつ慣れていく。やがてうまく撚れた部分ができると、その瞬間に目を輝かせ、近くの大人に「できた!」と得意げに見せる姿もある。大人たちも、昔を思い出すように懐かしげな表情になり、仕事モードから解き放たれたように作業に没頭している。
そうした光景は、かつて家族や地域コミュニティのなかで当たり前に見られた「伝承」の形を、現代のワークショップという場で疑似的に再現しているかのようだ。はるさんは、それが縄づくりを普及するうえで大きな意義になると信じているようである。子どもの素朴な疑問や大人の「こんなに楽しいとは思わなかった」という驚きの声が響く空間には、確かな“手仕事”の活気とやわらかな笑顔が満ちているのだ。

コロナ禍が呼び覚ました“目に見えないもの”を祓う力
コロナ禍で不安が高まるなか、はるさんが提案した「家の中にしめ縄を飾る」というアイデアは、予想以上に多くの人の心を捉えたようだ。ちょうど外出の制限が厳しくなり、ふとしたことで人々が自宅に閉じこもる時間が増えた頃、はるさんはオンラインの場や知人経由で「小さなしめ縄を作ってみませんか」というメッセージを発信していたという。
ある夕暮れ時、家のリビングの小さな棚や玄関先に飾られたしめ縄を眺めながら、ほっと息をつく家族の姿を想像してほしい。外の世界ではさまざまなニュースが飛び交い、先行きの見えない不安が人々の心を覆っていた時期だ。そんなとき、部屋の片隅に結界をつくるように置かれたしめ縄が、目に見えない安堵感をもたらす効果を果たしたのかもしれない。
はるさんは当時を、次のように振り返る。
「あの時期、みんな大きな不安を抱えていました。そこで『家の小さなスペースにしめ縄を置いてみませんか』と声をかけたら、“気持ちが落ち着いた”“家族がその縄を拝むようになって雰囲気が良くなった”など、予想以上の反応があったんです。
そもそも江戸時代などでも、疫病や災害のたびにしめ縄を張って結界を作る発想があったのだと思います。目に見えないものを祓おう、断ち切ろうとするのは、日本人にとって昔から自然な考えだったのではないかと思います。」
はるさんが語るように、江戸時代にも疫病や災害に対処するため、家々の入り口や集落の入り口にしめ縄を張りめぐらせ、そこを結界として機能させることが行われていたという。人々は古くから「祓う」「断ち切る」という見えない力を、縄を編む手仕事のなかに託してきたわけだ。
コロナ禍であらためて注目されたこの発想は、当時の人々が当たり前のようにしてきたことと重なる。現代の住まいであっても、玄関やリビングの一角にしめ縄を飾るだけで、空気が変わると感じる人が少なくなかったのだろう。まるで不安や邪気を結界の外へ閉め出すかのように、小さなしめ縄が、家族を守るシンボルとして機能し始めた瞬間ともいえる。
伝統を次の世代へ、 “職人は増やさなくていい”という理想
はるさんによると、麻結び職人を増やそうというわけではないという。それよりも、誰もが縄を編めるようになるほうが大事なのだと考えているようだ。
「職人として技術を高めるのも素晴らしいですが、私としては“家庭で気軽に編む”文化を取り戻したいです。
大きなしめ縄をいきなり作るのは難しいかもしれませんが、小さな飾りならハードルは高くないと思います。“面白そうだな”と感じてくれる人が一人でもいれば、伝統はつながるのではないでしょうか。
材料費や手間の問題は確かにありますが、“まず小さいものを作ってみる”“次はもう少し太くしてみよう”と、自然にステップアップできるはずです。
誰かが“やりたい”と手を動かした瞬間、文化はまた息を吹き返すと信じています。」
大がかりな機械や道具を使うわけでもなく、誰もが「これなら私にもできそうだ」と思える手作業。その連鎖のなかで、しめ縄の伝統が新しい息吹を吹き返していくというのが、はるさんの信じる未来図なのかもしれない。
小さな縄がもたらす“大きな革命”
振り返ると、しめ縄は神社の“神聖な飾り”としてばかり注目されがちである。拝殿に垂れ下がる巨大なしめ縄を想像すると、多くの人はそれが特別な空間を飾るだけのものだと感じてしまうかもしれない。
しかし、はるさんの話から浮かび上がるのは、「日常のなかで繰り返し編み直されてきた結界」というもう一つの姿である。年末が近づくと家族総出で縄を撚り、玄関に飾って新年を迎え、やがて時期が過ぎれば火にくべて土に返す。そうした営みを続けてきた日本人の家庭には、季節の移ろいを感じながら自然との共生や循環を大切にする精神が凝縮されていたのだろう。
はるさんは、まるでその光景を追体験するかのように、穏やかな口調でこう語る。
「世の中が不安定なときだからこそ、小さなしめ縄を家に置くことを望む人が増えているのではないかと思います。それが家族や地域のコミュニケーションのきっかけになったり、子どもが『これどうやって編むの』と興味を示したりするんです。
そうした小さなきっかけが、いろいろな結びつきを取り戻す“革命”になり得ると私は考えています。」
実際、玄関先にちょこんと飾られた麻のしめ縄を想像すると、その存在は大げさな派手さこそないが、訪れる人の目をほんの少し引きつけるだろう。そこで交わされる「これはどこで手に入れたの?」「どうやって作るの?」という会話や、子どもが「触ってみたい」と言い出す場面には、日常に埋もれかけた手仕事の文化を再発見するきっかけがある。とりわけ麻素材で作るしめ縄には、土へ還るやさしさや、人と自然を再び結びつける力があると感じられる。ビニール素材にもメリットがないわけではないが、長い年月をかけて培われてきた麻には、すでに失われかけた独特の質感と魅力が宿っているようだ。
玄関や部屋の隅に、ほんの小さなしめ飾りを掛けるだけで空気が変わり、気持ちが安らぐかもしれない。はるさんが目指すのは、必ずしも職人を増やすことではなく、誰もが少しだけ編んでみる文化を広げることにほかならない。そこにこそ、かつて日本人が当たり前のように受け継いできた“しめ縄の物語”を呼び覚ます鍵があるのだ。
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