石川県・能登半島の中腹あたり、ゆったりとした海に囲まれた能登島という島がある。周囲70kmもある大きな島だ。
夏には深い緑と透き通った青い海が広がり、冬にはどこまでも続く荒波の向こうに水平線が見える――四季折々にまったく違う表情を見せてくれるこの島は、昔から自然の豊かさと穏やかな暮らしが魅力とされてきた。そんな能登島に、15年もの歳月をかけて“理想の移住先”を探し求めた末、ようやく辿り着いた女性がいる。
彼女の名は長竹幸子さん。新たな地で見つけた築100年の古民家を個人の手で改修し、1棟貸しの宿泊施設「御祖母さまのお宿」をオープン。さらに、12年前には能登島の11LDKの古民家でフレンチ宿の「能登島サンスーシィ」をオープンし、合計2軒の宿を営んでいる。なんと一日一組限定のフランス料理レストランを営む旦那さんとともに、古い歴史と新しい価値を融合させた“次世代の暮らし”を提案しているというのだ。
江戸時代の風景をそのまま残したかのような黒瓦の屋根、杉板の外壁、そして海辺の急峻な山の斜面に寄り添うように点在する民家の数々。ここ能登島には1300年を超える歴史をもつ寺院や、独自のコミュニティ文化が今なお息づいている。だが一方で、能登半島大震災以降の人口減少や観光需要の変化により、漁業や農業、さらには伝統文化の継承まで課題が山積しているのも事実だ。そんななか、「古いものをただ守るのではなく、壊さない形で新しいものを取り入れたい」――そう語る長竹さんの挑戦は、この地が育んできた古き良き習慣と、現代のライフスタイルの掛け合わせを実現するユニークな事例となりつつある。
■ 15年越しの移住先:能登島との運命的な出会い

夕暮れ時の能登島の様子。幻想的な風景が島を包む。
都会に暮らす人々にとって、能登や能登島は“遠くの秘境”といった印象があるかもしれない。実際、長竹さんもはじめは「行きやすさ」よりも「自分の気持ちが震えるような場所」を優先して日本各地を回っていたという。九州から東北、北海道にいたるまで、どこへ行っても同じように見える高速道路沿いの街並みが嫌だった。チェーン店や広告看板、画一的に作られた商業施設の風景に「ここにしかない風情」を感じることは難しかった。
そんな長竹さんが、ふと立ち寄った能登島に魅了されたのは、“島”でありながらも山が迫り、海と里がめぐるように繋がっている独特の地形にあるという。漁業だけでなく、棚田のような農業景観も広がり、古い家並みがまるでフランスの田舎町のように統一感ある色彩を保っていた。しかも島内には1300年を超える歴史を持つ寺院があり、古民家が幾世代にもわたって受け継がれ、修復されている。

御祖母様のお宿 100年古民家
「ここだ!そう思った瞬間、10年以上かけて探し歩いた疲れが一気に吹き飛びました」と長竹さんは笑う。島に渡ると車で数分、細い道を進んだ先にひっそりと佇む古民家と出会う。その家は、黒瓦と杉板が醸し出す風情を保っていた。雨ざらしの軒下や土壁には随所に傷みが見られたが、逆にいえば「直し甲斐がある」とも言える状態だった。「自分たちでコツコツ改修しながら使うには最高の素材」だったのだ。
■ “よぼしご”という独特の文化:島が育む“家族以上”のコミュニティ
町の秋祭りの様子
長竹さんが能登島で暮らすうえでもう一つ大きかったのは、“よぼしご”と呼ばれる独特のコミュニティ関係である。血縁関係がまったくなくとも信頼関係のできた間柄や遠い縁者でも、「口約束で親戚同士になる」仕組みだという。「そんなことが本当に成立するの?」と不思議に思うかもしれないが、島に住む高齢者に話を聞くと、「うちはあそこの家と“よぼしご”になったんや」と当たり前のように語ってくれる。
よぼしごになった家同士は、家族さながらに助け合う。たとえば夫を亡くしたおばあちゃんが心細い思いをしていれば、「大丈夫?ご飯食べてる?」と毎日のように声をかける。収穫した野菜を余分に持っていけば、向こうは魚や漬物のお裾分けをくれる。まるで血のつながり以上に深い絆が、島社会をしっかりと支えているのだ。
「移住者の私が、この文化に馴染めていけるだけでも本当にありがたかった」と長竹さんは言う。人口減少が進む能登島において、よそ者を排斥するのではなく“よぼしご”に迎え入れようとする空気があるのは、古くからの島の気質を打破する動きなのだろう。こうして長竹さんは、島の人々との信頼関係を築き、無理なく移住生活をスタートさせることができた。
■ 古民家再生と“一日一組限定”フランス料理の挑戦

長竹さんには、夫という強力なパートナーがいる。フランス料理の修行を経て一流の腕を磨き、都会のレストランでシェフを務めた経験もある。ところが、「自然の恵みや生産者の顔が見える料理を突き詰めたい」と思い始めた矢先、長竹さんが見つけてきた能登島の古民家に意気投合。「ここでフランス料理を出すなんて面白い」という好奇心と共に、新たな挑戦を始めることになった。
「大量にお客様を呼ばなくてもいい。それよりも、古民家の空気感や、能登島の素材、そして旦那の料理へのこだわりをしっかり楽しんでもらいたい」という思いから、彼らは思い切って“一日一組限定”というスタイルを採用した。
仕込みには数日かけるほどこだわり抜くため、大勢を相手にするのは非現実的。ならば一日一組だけ迎え、コース料理をゆっくり味わってもらう。漁師さんから直接買ってくる新鮮な魚介類や、地元農家が丹精込めて育てた野菜、さらには自家栽培の野菜や自家製のハーブや調味料も駆使する。そうして出来上がる料理は、舌だけでなく五感そのものを刺激する“体験”として、多くのゲストを唸らせているという。
口コミは次第に広まり、「都会の喧騒を離れたい」「本当に美味しいものを、静かな環境で堪能したい」というゲストが数多く訪れるようになった。米蔵を改装したレストランにはフランスのエスプリを感じさせる小物や調理器具が並び、一歩外に出れば大きな窓越しに能登島の海が見渡せる。「古さ」と「新しさ」が融合する、不思議な空間がここにはある。

長竹さん自身が育てたお野菜
■ 1300年の歴史を受け継ぐ寺院と、再生への思い

御祖母様のお墓掃除とお寺の参観
能登島には、1300年を超える歴史を持つ寺院もある。風雨にさらされながらも、本尊や建物を守り続けてきた住職は、昨今の情勢に頭を悩ませている。檀家の減少や防犯対策の不備、古い宗派のしきたりとの折り合いなど、課題は多岐にわたる。
しかし長竹さんが驚いたのは、「住職が本気で新しい一歩を踏み出そうとしていた」ことだ。寺院をもっと開放的にし、お札やお守りをつくって資金を募る案もある。島外からの参拝客を増やし、島独自の文化を体験してもらう観光プランを練るのも一つの手だろう。歴史ある仏像や記録を守るためには防犯カメラや施錠管理などが必要だが、それに見合う予算を確保しなければならない。
長竹さんは、クラウドファンディングの活用や、レストランのゲストに寺院を案内する企画など、複数のアイデアを出している。若い住職も「このまま何もしなければ、せっかくの歴史が消えてしまう」と奮起し、協力体制を整え始めた。とはいえ、長年続く島の“しきたり”や宗教上の制約もあり、誰もがすぐ賛成というわけにはいかない。それでも少しずつ、島全体が「新しい伝統を生むにはどうすればいいか」を考え始めているのだ。
■ 田んぼと海藻:島の暮らしを丸ごと味わう体験プログラム

一日一組のフランス料理だけでも十分特徴的だが、長竹さんがもう一つ力を入れているのが「島の暮らし体験プログラム」である。たとえば「田んぼでの泥んこ体験」。機械化が進む農業だが、この島には今も沼田のような場所があり、そこを足で踏み固めて耕す。いわば“人力耕運”の文化を新たに創造しているのだ。
初めて参加する人は、足が泥にずぶっと沈む感覚に戸惑い、バランスを崩して転びそうになる。けれど、慣れるとその泥の冷たさや柔らかさ、香りにさえ新鮮な喜びを感じるようになる。「都会で疲れた心が、なんだか田んぼの泥に吸い取られていくみたい」と言う参加者もいるほどだ。泥を踏み固め終わると腰を伸ばし、遠くに見える能登島の海を眺める。その雄大な景色と無心で身体を動かす行為が相まって、短時間でも濃密な達成感を得られるという。

さらに、海側では「海藻しゃぶしゃぶ」が人気だ。ウニやカニといった高級食材だけでなく、島近海にしか生息しないような珍しい海藻をその場で採取し、ほんの数秒湯に通すだけでいただく。磯の香りが鼻を抜け、噛むほどに海の滋味が広がっていく。フランス料理にも応用できるだろうが、まずは“そのまま”味わってみることが最良だと長竹さんは言う。「昔の日本人は、こうして自然からの恵みをそのまま享受していたんだなと思うと、心が震えます」と語る。
■ 震災と津波の記憶:守られた土地と“1300年前”の言い伝え

実は、能登島やその周辺は能登半島大震災の津波被害が比較的軽微だった地域の一つでもある。もちろん場所によっては大きな影響を受けたが、長竹さんの暮らす集落は地形の兼ね合いもあって被害が少なかったという。「1300年前の“おんば様”と呼ばれる女性が、島に点在して暮らしていた人々をこの地に集めて農業と漁業を教えてた言い伝えがあり、当時から遺る末裔の方が『ここは津波が来ないぞ』と震災の津波避難の時に話していたことから、その当時からの先見性も確信してこの町に人を呼んだのでは無いか?と思うほどです」と長竹さんは話す。
真偽は定かではないが、“おんば様”が開いたとされるこの集落は、先人が選び抜いた特別な土地なのだろう。周囲の地形や潮流、風向きなどを長い年月をかけて観察し、海難を避けられる最善の場所に人々を移住させた。そうした知恵が伝承されているのは、日本各地でも稀有な例だろう。現代のように科学的データもなく、気象衛星もない時代に、1300年先を見据えて地域を作った人物がいたという事実には、驚嘆せざるを得ない。
■ 壊さない変化:新旧の価値を“つなぐ”という発想

古民家を島の住人でリニューアルしている様子。壁画は日本画の手法を使用
長竹さんの新たな取り組みを一言で言えば、「壊さずに変える」挑戦だ。古民家を完全に“西洋風”にリノベーションするのではなく、あえて昔ながらの梁や土壁、古い調度品を活かす。一日一組限定にして大量の集客は狙わず、むしろ島の人々や自然が持つ価値を、ゆっくりと噛みしめられる仕組みにする。寺院再生のプロジェクトでも、既存の信仰や地域文化を否定することなく、そのうえに新しい資金調達や参拝客との交流のアイデアを載せようとしている。
「伝統を継ぐためには、まったく変えずに保存するだけでは難しい時代だと思うんです。でも、だからといって急進的に何もかも近代化するのは、かえって大事なものを失ってしまう。ゆるやかに、だけど確実にアップデートをかける。それがこの島の未来に必要なプロセスじゃないかな、と私は感じています」
長竹さんの言葉には、島の空気のように穏やかでありながら、確固たる信念が通っている。彼女自身も、最初は移住者として“外の人”だった。しかし今では“よぼしご”の仕組みを自然に受け入れ、田んぼや漁業体験の中心となり、寺院とも積極的に連携を図っている。その柔軟な姿勢こそが、島の人々の心を動かし、ゆるやかな改革を実現する原動力なのだろう。
■ 地方創生の“リアル”と日本文化の再評価

近年、「地方創生」という言葉がさまざまな場面で取り上げられている。しかし、その多くは大企業や行政が主導する大規模な観光開発プロジェクトだったり、短期的なイベントを打ち上げて集客を狙ったりするものが目立つ。一方、能登島で長竹さんが進める活動は、身の丈にあった小規模な取り組みを地道に積み上げるタイプの地方創生だ。
農業体験や漁業体験、古民家を使った宿泊やフランス料理の提供、そして寺院との連携。いずれも華やかなメディア露出に頼った爆発的なブームではない。ところが、そこにこそ“地域の本質的な価値”を再確認させてくれる確かな手応えがある。地元の人が今まで自然にやってきたことが、少し視点を変えるだけで「現代に必要とされる宝物」に変わる瞬間。長竹さんは、その“視点の切り替え”を身をもって体現しているのだ。
■ 能登島が見つめる“新しい伝統”のゆくえ

この物語の核心には、1300年という悠久の時を超えて受け継がれてきた自然と歴史、そしてコミュニティの存在がある。フランス料理も、田んぼの泥んこ体験も、海藻しゃぶしゃぶも、すべては長竹さんが見つけ出した「壊さない変化」の一端だ。
「もしこの島に興味を持ってくれた人がいたら、ぜひ足を運んで、五感で確かめてほしいんです。もう何もない場所だと思っていたら、実はこんなに豊かな暮らしがある。都会と違って不便かもしれないけど、その不便さが贅沢だったりするんです」
彼女の言葉は、一見すると遠回しな誘いに感じるかもしれない。しかし、今の日本社会が抱える課題――人口減少や環境問題、コミュニティの希薄化といった諸問題――を考えるとき、能登島での暮らしが提示するヒントは無視できない。「よぼしご」という血縁を超えた助け合いの文化や、自然の恵みを無駄なく活かす生活様式、そして1300年にわたって大切に守られてきた寺院の存在。そこには、未来を創る手がかりが詰まっている。
■ 能登島に流れる時間と、自分自身の“再生”

長竹さん夫婦
最後に、長竹さんはこう語る。
「私たちは、島の昔ながらの暮らしを“体験”という形で提示していますが、実は私自身が一番学ばされているんです。田んぼに足をとられて転ぶこともあるし、海に出て漁師さんと話していると分からないことだらけ。だけど、その“分からなさ”や、“不自由”を受け入れることで、生きることが面白くなる。そんな当たり前のことをこの島で思い出せました」
都会的な効率や便利さとは一線を画し、ゆったりと流れる時間の中で、自然や歴史、そして人間関係までも再評価する。そこから生まれるのは、単なるノスタルジーではなく、自分自身をも再生するような力だ。「未来に向かって古民家を活かす」と聞くと矛盾しているようだが、能登島ではそれが当たり前に成立している。
山と海、そして1300年の歴史が紡ぐ“次世代の暮らし”フランス料理×古民家×コミュニティの挑戦は、能登島で静かに、そして着実に根を張り始めている。

もしあなたが、ありふれた都会の景色にどこか息苦しさを感じているのなら、あるいは伝統や文化の価値を見直したいと考えているのなら、長竹さんの営む一日一組限定レストランと、島暮らしを堪能する1日1組限定の一棟貸し宿泊施設と、そこから広がる体験プログラムに足を運んでみてはいかがだろう。
強烈な宣伝も観光パンフレットもないかもしれないが、自分の眼と耳と肌で「新しい伝統」への手応えを感じ取る。そんな旅こそ、本当に豊かな時間をもたらしてくれるはずだ。過去と未来のはざまに立ち、壊さずに変わり続ける能登島で、あなた自身の“次世代の暮らし”のヒントを探してみてほしい。
大きく息を吸い込めば、潮の香りと草木の匂いが混じり合った島の空気が広がる。かつて“おんば様”が見定めたとされるこの地には、1300年の歴史と、長竹さんをはじめとする人々のゆるやかな情熱が満ちている。そこには、私たちが忘れかけていた“暮らしの核心”が、確かに息づいているのだ。
今回取材を受けてくださった人

長竹幸子(ながたけゆきこ)
能登島で“壊さずに変える”地方創生を実践する移住起業家。15年かけて理想の移住先を探し、築100年の古民家を再生し、一棟貸し宿「御祖母さまのお宿」とフレンチ宿「能登島サンスーシィ」を運営。地域の文化と自然を活かし、田んぼ体験や海藻しゃぶしゃぶなどの体験型プログラムを企画。1300年の歴史を持つ寺院の再生にも取り組む。能登島の未来を共に創る新たな伝統を築いている。
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