「日本の伝統文化が、いま危ない」
そう聞いて、多くの方は神社の消滅危機を思い浮かべる方もいるでしょう。実際、現在進行中で毎年1000社の神社が消滅し、20年後4割以上が姿を消す恐れがあると指摘されていますが、これは決して神社だけの問題ではありません。
国指定の伝統的工芸品 が現在241品目あると言われる中、1980年代に比べると生産額が5分の1から6分の1へ激減 し、後継者難や経済的な理由で廃業寸前の工房が全国で相次いでいます。たとえば京都の 西陣織 は、かつて国際的なブランドとして栄えたものの、近年では 生産額が8分の1以下 に落ち込み、織元の廃業や後継者不足が深刻化している状況です。
また、文化庁が「無形民俗文化財」として指定する 伝統芸能・民俗行事 に目を向けても、ここ10〜20年のあいだに 100を超える団体が活動を休止あるいは解散 した例が報告されています。
町をあげて毎年行われていた祭囃子や神楽、獅子舞などが、担い手の高齢化で消滅寸前まで追い込まれ、今では名ばかりの保存会だけが残されるケースも少なくありません。商店街のシャッターが下りっぱなしになった光景と重ね合わせると、まるで日本全国で“消滅のカウントダウン”がじわじわと迫っているかのようです。
数字や事例を挙げれば挙げるほど、「これはやばい状態だ」と痛感するはずですが、実際には多くの人がそこまで危機感を持てないまま、日々の忙しさに埋もれてしまうのが現実ではないでしょうか。
私自身も、かつてはこの問題を「どこか遠いところで起きていること」くらいにしか感じていませんでした。ところが、国内外を行き来して実際に現場の声を聞くうちに、どうしようもないほど胸が締めつけられる想いをしたのです。「日本が誇る文化や技術が、当の日本で見向きもされず、静かに消えていこうとしている」
この矛盾を目の当たりにしたとき、私は「何か行動しなければ」と奮い立たされました。
私が海外で感じた「日本の価値」
多文化で活気あふれるシンガポールの街並み
大学を卒業した私は、一般的な就職活動をせずにシンガポールへ飛び込みました。周囲から「なぜわざわざ?」と問い詰められることもありましたが、その頃の私は「普通に就職して出世コースを歩む未来」がどうにも魅力的に思えず、“海外で強くなる” という目標に心が惹かれていたのです。
多民族が混在し、さまざまな宗教や言語が共存するシンガポールの街並みは、初めて踏み入った私を圧倒しました。大通りには英語や中国語、マレー語、タミル語の看板が並び、夜になれば高層ビルのネオンが川面に揺らめきます。市場へ足を向ければ、濃厚なスパイスの香りが漂い、遠くの屋台からは甘いミルクティーのような匂いがしてくる。こうした “カオス” とも言える活気は、とても新鮮な刺激でした。
しかし、その私の想像を超える “大きな気づき” を与えてくれたのは、ホームステイ先で暮らしていたインド系シンガポール人の老人でした。
当時90歳を超える老人は、70年以上前に南インドからシンガポールへ移住し、植民地支配や日本時代、マレーシアとの合併を経て、シンガポールの独立へ至る幾多の歴史を見届けました。家の廊下に飾られた古い写真が、長い人生を歩んできた証のように静かに語りかけていました。
あるとき、彼は戦前から戦後にかけてのシンガポールの移り変わりについて話し始め、「この国は多文化を受け入れる強さがあるけれど、あの頃は苦労もとても大きかった」と、遠くを見つめるように言いました。
一方、私が「日本についてどう思いますか?」と尋ねると、深い解説を期待していた私とは対照的に、「君が日本人なら、日本に誇れることがたくさんあるだろう?」と逆に問い返されたのです。その言葉に私は思わず詰まりました。海外に出たものの、自分が日本の何をどの程度理解しているか?自信を持って語れるものが思い浮かばなかったからです。
「日本人は正しい人が多かった。真面目な人が多かった。同僚もたくさんいた。当時は必死で日本語を覚えたんだよ」。そう言って、70年も前に身につけた日本語で「これからもよろしくお願いします」と挨拶してくださったのが、何より印象深い出来事でした。

北マリアナ連邦にいた頃の筆者
こうした心のざわつきは、次に渡った北マリアナ連邦で一気に大きな衝撃へと変わります。サイパンを含む複数の島々から成るこの地域でも、日本統治時代を経験したお年寄りは多く、「日本人は誠実で、高い技術を分け隔てなく教えてくれた。それはこの地域を植民地にしたスペイン人、ドイツ人、アメリカ人など他の民族では考えられなかったことだ。おかげで今の私たちがあるんだよ」」と声を揃えていたのです。そこは潮風が吹き抜ける浜辺で、オレンジ色の夕日が海を染める情景の中、「こんなにも感謝してくれているなんて」と私は胸を打たれたのです。
同時に、強い“罪悪感”にも似た感情がこみ上げました。「自分は日本について、どれほど知っているのだろう?」。
海外でビジネスを成功させようと奔走してきた中で、私は“日本人としての意識”が薄かったかもしれない。北マリアナの島々で聴こえるウクレレ調の弦楽器の音に耳を傾けながら、「日本の文化や技術の価値を、当の日本人である自分がもっと語れなくてどうするんだろう」と痛感したのです。
さらに、「日本でこの文化がもし失われてしまったら、こんなに大事に思ってくれる海外の人々の感謝すら、形を保てなくなるのではないか」と危機感が芽生え始めたのでした。
こうして海外で得た体験こそが、“日本の伝統を守る必要性”を真に意識するようになった原点でした。神社文化や職人技、そして日本人の勤勉さや誠実さ。世界中の人々がそこに価値を認め、感謝すらしているのに、私たち日本人がそれらを放置しているとしたら、あまりに矛盾している気がする。そう気づいたとき、「自分が何か動かなければ」と強く感じずにはいられなくなったのです。
帰国後、突きつけられた「伝統の消滅危機」

消えゆく街・シャッター街・廃校
こうして胸に芽生えた “日本への思い” を抱えて帰国したものの、それから約1年後にコロナ禍が訪れました。海外へ行くことはおろか、国内でも自由に動きづらい時期が続き、「海外で強くなる」という目標をひとまず棚上げせざるを得なくなったのです。けれども、そうした逆境だからこそ、今度は 日本の土地をくまなく回る という道が開けました。
いっそこれを機に日本全国を見て歩こうと、沖縄の宮古島から北海道のニセコまで足を伸ばしてみると、私の想像をはるかに超える “日本の現実” が目に飛び込んできたのです。
地方へ行けば、かつて活気にあふれていた商店街がシャッターを下ろしたまま。昭和の頃には8校あった小学校が今では1校に統合されたという話も珍しくありませんでした。そこには「子どもがいなくなり、学校そのものが維持できない」という切実な声がありました。
徳島では、1000年以上の歴史をもつ式内社 が人の手が入らないまま荒れ果て、廃墟寸前の姿をさらしているのを目撃し、強い衝撃を受けました。
高齢化と少子化、後継者不足、さらにそれらを支える仕組みがすでに旧式化している。全国規模での取り組みも見当たらず、「このままだと本当に消えてしまうのでは?」と危機感を抱かずにいられない場面ばかりに出合ったのです。海外の人たちは「日本の技術や文化は素晴らしい」と言ってくれるのに、当の日本国内では、それらが静かに消滅しようとしている。そんな矛盾に触れるたびに、私は何とも言えない焦りを感じました。
コロナ禍がなければ、きっと私は“海外”というフィールドだけを追いかけていただろうと思います。しかし、強制的に日本に留まらざるを得なくなったことで、この国の実情を今ほど鮮明に見ることはなかったはずです。人が減り、祭りが消え、地域を支える基盤が崩れかけている。私たちが守らなければ、本当に数年先には取り返しのつかない事態になる。日本各地を巡るなかで、そんな強い危機感が私の中に根を下ろしました。
そして今、「このままではいけない」と改めて確信したのです。海外で見聞きした「日本への称賛」が、国内の現状とこんなにも食い違っている理由を突き止め、何とかしなければ。そう思うようになったのが、まさに“伝統の消滅危機”を肌で感じた出発点でもありました。
クラウドファンディングで紡がれる“復興”の可能性
最初に動こうと思ったとき、正直なところ「何から始めればいいのか」まったく分かりませんでした。海外から戻って日本の現状を知り、「このままじゃいけない」と危機感はあったものの、具体的な手だてが思い浮かばなかったのです。しかし、自分の想いを周囲の人に話していくなかで、伝統文化を支えるためにクラウドファンディングを実施しようとしている人に出会うことができました。

宮古島の薬草文化復興のためのクラウドファンディングは計6,000万円の資金調達に成功
そのうちの一人が、宮古島で かつて存在した薬草文化を復活するための施設 を作ろうと考えていた織田剛さんです。偶然のご縁で彼の活動を知り、「昔からあった薬草文化をもう一度甦らせたい」という思いに私も共感しました。周りの応援も重なって、結果的に6000万円以上の資金が集まったのです。このプロジェクトが、私にとって伝統文化復興への具体的な第一歩になりました。

志賀理和氣神社の鎮守の森復興活動では400万円以上の資金調達を1年目で成功させる
さらに、神社の清掃ボランティアをしていた際に、東京・二子玉川にある瀬田玉川神社の高橋禰宜と知り合う機会がありました。そこからまた新たな繋がりが生まれたのです。岩手県にある 志賀理和氣神社 では、1000年以上続いた鎮守の森が伐採の危機にさらされていて、それを何とか復活させるためのクラウドファンディングをやりたいという話をいただき、「ぜひお手伝いしたい」と思い立ちました。こちらのプロジェクトでも多くの賛同を得て、400万円以上の資金を集めることに成功しました。
こうした出会いを通じ、私は “お金” の面でアプローチする大切さを再確認します。伝統文化を存続させるには、まず資金難を乗り越えねばならないケースが多いからです。そこで、クラウドファンディングのプロデューサーとして各種プロジェクトを立ち上げ、多くの人に支援を呼びかけてきました。資金が集まるだけでなく、「地元の神社を見直すきっかけになった」「工芸品を実際に買ってみたら感動した」という声が寄せられるようになり、意識改革の第一歩も感じられるようになりました。
たとえば陶芸や染織、木工などの分野では、SNSや動画で職人の作業工程を伝えることで若い世代の関心を高め、後継者が少しずつ増える動きも出始めています。「資金を集めることはあくまで手段にすぎない」 —私はこの一連の体験を通じて痛感しました。本当に大事なのは、支援者と伝統の担い手がつながり合って、新たな可能性を生むこと。海外で私が見てきた“日本へのリスペクト”を、国内でも呼び覚まし、文化を未来へつなぐ循環を作りたい。それこそが私の最終的な目標なのです。
そして今、海外に行けない時期にこそ私たち自身ができることを精一杯やりながら、多くの人が「自分の地域にこんな魅力があったんだ」「昔の暮らしや技術に価値があるんだ」と再認識する動きを加速できれば、消えかけた伝統もきっと甦ると信じています。
日本中の伝統文化人1万人にインタビューへ

奈良県のしめ縄職人のアトリエにて
日本を巡って感じた危機感を、より具体的な行動へと転換するために、私はある壮大なアイデアにたどり着きました。それが 「日本中の伝統文化人1万人にインタビューする」 という構想です。
初めてこの企画の概要を人に話したとき、多くの人が目を丸くして「それ、1日に何十か所も回るわけでしょ?正気?」といった反応を見せました。無理もありません。私自身、現実問題として体力・資金・スケジュールなど、どれだけハードな道のりになるかを考えると、気が遠くなる思いがあるからです。しかし、その “無茶” にこそ意味があると私は強く感じています。
なぜなら、国内外を行き来して痛感したことのひとつが、「日本のすごさ」が国内では目に見えない形で失われている という事実だからです。もし私が超人的なペースで全国をまわり、工芸の工房や神社、芸能団体の稽古場などを 短い時間でも直接訪れて、その姿をリアルタイムで配信していけば、多くの人が「なぜそこまで無理をするのか?」と不思議に思うでしょう。そして、疑問を持ってもらえれば、「これほどしないと取り返しがつかない事態なのか」と危機感を抱く人が増えるかもしれません。
実際、今までの経験だけでも、日本の伝統文化があちこちで寸断されようとしているのが分かります。しかし、地元以外の人が知らないまま消えていく事例は後を絶ちません。そこで、「どの地域で、何が、いまどんな危機に瀕しているのか」 をいっきに見せることができれば、人々の注意を集め、一緒に行動を考えてもらう起爆剤になり得ると考えました。
弾丸ツアーには、地元で待っていてくれる人たちの思いや空気感を “生” で感じ取るうえでも大きな意義があります。観光スポットを駆け足で回るのとは違い、職人や神職、芸能者の皆さんのもとに飛び込み、「ほんの数分でも構わないので、あなたの技術や想いを聞かせてほしい」と頭を下げる。
それ自体が「こんなに遠くから、こんなに忙しいスケジュールの中、わざわざ来てくれたのか」と思ってもらえるきっかけになるかもしれません。
さらに、SNSや動画配信で 実際に走り回る姿や取材の断片 を見せていけば、ネット上で「そんな厳しい行程に挑む理由は何なの?」と話題に上がります。「日本の伝統はそんなにやばいの?」という疑問を世間が抱いてくれるだけでも、一歩前進です。
大事なのは、“誰も知らないうちに消滅する” という最悪のシナリオを防ぎ、社会の視界にしっかり入れること。
まさにこれが、伝統文化人1万人インタビューをやる根本的な目的と言えます。
技術の「言語化」と復元のためのアーカイブ

奈良県での取材後の居酒屋にて
超ハードスケジュールで全国を回るだけではなく、私がとりわけ重視しているのが “インタビューによる技術・想いの言語化” です。日本の職人芸や神社の神事、さらには芸能の演目に至るまで、長らく口伝や弟子入りの慣習を通じて受け継がれてきた部分が多くあります。
そこには書面化されない “職人の肌感覚”や “一子相伝のコツ” が宿っており、もし後継者が途絶えれば “あの名人のコツは誰も知らない” という最悪の事態になりかねません。
ところが、実際に一線で活躍する職人や神職の方々が、わざわざ自分のノウハウをまとめて書き残すかというと、忙しさや慣習上の理由からなかなか行われないのが現状です。「普段は言葉にしない工程」 は、そのまま失伝するリスクを抱えています。だからこそ、私たちが弾丸ツアーで直接足を運び、「どういう道具を使い、どんな手順で、何をポイントにしているのか」を可能な限り引き出し、映像と文章で残すことが大事だと思うのです。
「短い取材で深い技術まで聴き出せるの?」と思われるかもしれません。しかし、職人や神職といった専門家たちが 「こういう場が来るなら、少しでも伝えたい」 と思ってくださるケースは意外と多いのです。ごく短い時間でも、一番大事な部分をぎゅっと言葉にしてくれたら、それが “種” になるはず。将来、「もう一度あの技術を復元したい」と誰かが思ったとき、その断片的な記録は必ず大きな手がかりとなるでしょう。
“未来のタイムカプセル”を作る

伊勢神宮内宮の茶室前にて
ここで集めた 膨大なインタビュー映像や音声、写真、テキスト は、すべてデジタルアーカイブ化して誰もがアクセスできる仕組みを作る予定です。私はこれを 「未来のタイムカプセル」 と名づけました。
一度消えかかった伝統であっても、アーカイブがあれば復活の糸口を見つけられる可能性が広がります。お祭りの運営手順、神職が行う儀式、工芸の刷毛の使い方や道具の名称……こうした当たり前に思われてきたノウハウほど、失われると再現がきわめて難しいのが現実です。
海外経験を通じて私は、「日本人が培ってきた技術や精神は、世界の人々にも高く評価され、感謝されている」と知りました。
そんな宝物を、私たちが国内で放置していいのか。「こんなに素晴らしいのに気づいたら消えていた」なんて、もったいなさすぎるではありませんか。
仕組みが未来を拓く!行動を起こすために

とはいえ、取材してアーカイブを残すだけでは、文化を守りきれない可能性があるのも事実。そこで私は、資金・情報発信・記録化 の三位一体が必要だと考えています。
- 資金面
- クラウドファンディングやスポンサー、行政補助などを組み合わせ、修繕や後継者育成に必要な費用を捻出する。
- 情報発信
- SNSや動画配信、各種メディアをフル活用し、弾丸ツアーの過酷さや取材の断片、さらに工芸や神社、芸能の魅力を紹介する。国内外のファンや若者の興味を惹き、参加者や支援者を増やす。
- 記録化
- 「いま」しか聞けない職人や神職、芸能者の声を丁寧に収集・アーカイブ化して、将来の復元や研究に役立てる。
こうした仕組みが回り始めると、たとえば「SNSで見かけた工芸品に惹かれ、クラファンで支援し、アーカイブを参考に自分も後継者を目指す」といった流れが可能になるかもしれません。一度この好循環のモデルが生まれれば、全国で同じことを展開しやすくなり、伝統文化を取り巻く環境は大きく変わっていくでしょう。
私たちにできる小さな一歩を

六郷土手の日本伝統工芸品のギャラリーを持つ「at home square」にて
“小さな一歩” こそが文化の未来を支えます。例えば、地元の神社や工房を訪ね、SNSで発信する。地域の祭りに参加して写真や動画をアップする。家にある和食器のルーツを調べてみるだけでも、誰かの目を引き、興味を生むきっかけになるのです。
海外で私が体験したように、「日本の文化って本当にすごい」と評価してくれる人がたくさんいるのですから、国内の私たち自身がまずそれを見直さないわけにはいきません。
おわりに

伊勢神宮内の茶室前の小川にて
数字を見ると、日本の伝統文化は四方八方から衰退の危機にさらされています。それでも、海外で出会った人々の「日本のおかげ」「技術に感謝」という言葉を思い出すたび、「こんな素晴らしい宝を、私たちは見捨てるのか?」と胸が痛むのです。だからこそ、1万人の伝統文化人にインタビューして、技術と言葉をアーカイブ化する という一見無謀な計画に踏み切ろうとしています。
「そこまでしないともう危ないの?」と思われるかもしれません。でも、そこまでしなければ一部の人だけが知る危機で終わり、国内全体が気づく前に大事な文化が消えてしまいかねない。それが私の正直な思いです。
このプロジェクトを通じて、一人でも多くの方が「近所の伝統って何が残っているんだろう」「SNSで応援してみよう」と行動を起こしてくれれば、小さな“うねり”が大きな復興の波に変わるかもしれません。海外で「日本はすごい」と言われるその価値を、私たち自身の手で守り、発展させるには、今が正念場です。消える前に動くか、見過ごしてしまうのか。あなたの“次の一歩”を促すきっかけになれればと願っています。
この活動への参加方法
もし、私たちの想いに共感し、「日本の伝統を未来に残す」ために力になりたいと思われた方は、ぜひ以下のいずれかの形でご参加ください。
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